楓 (樺型駆逐艦)

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艦歴
計画1914年度[1]
起工1914年10月25日[1]
進水1915年2月20日[1]
就役1915年3月26日[1]
その後1934年3月11日相模湾に漁礁として海没[1]
除籍1932年4月1日[1]
性能諸元(計画公表値)
排水量基準:公表値 595トン
常備:計画 665トン
全長全長:82.90 m [注釈 1]
水線長:82.29m[注釈 2]
垂線間長:260 ft 0 in (79.25 m)
全幅24 ft 0+38 in (7.32 m)
水線幅24 ft 0 in (7.32 m)
吃水7 ft 9 in (2.36 m)
深さ15 ft 3 in (4.65 m)
機関推進:3軸
主機:直立4気筒3段レシプロ 3基
出力:計画 9,500馬力
ボイラー:ロ号艦本式缶 重油専焼2基、混焼2基
速力30ノット
1931年時 31ノット
燃料重油137トン、石炭100トン
航続距離1,600カイリ / 15ノット
乗員竣工時定員 90名[2]
1920年調 94名
1928年公表値 96名
兵装40口径12cm単装砲 1門[注釈 3]
40口径8cm単装砲 4門[注釈 4]
45cm連装魚雷発射管 2基4門
搭載艇4隻
備考※トンは英トン

(かえで)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、樺型駆逐艦の3番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「」があるため、こちらは「楓 (初代)」や「楓I」などと表記される。

1914年大正3年)10月29日、舞鶴海軍工廠で起工[3][4]1915年(大正4年)2月20日、進水[3][5]。同年3月25日竣工[3][6][注釈 5]

第一次世界大戦では、1916年(大正5年)から1919年(大正8年)まで、シンガポール方面警備と地中海の海上護衛に従事した[1]

1932年昭和7年)4月1日に除籍。1934年(昭和9年)3月11日、相模湾に漁礁として海没。

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

駆逐艦長
兼舞鶴海軍工廠艤装員(1915年2月22日[7] - 1915年3月25日[8]
  • 瀧田吉郎 少佐:1916年4月1日 - 1917年9月1日
  • 森田弥五郎 少佐:1917年9月1日[9] - 1919年12月1日[10]
  • 町田進一郎 少佐:1919年12月1日 - 1920年7月15日[11]
  • 北条釐三郎 少佐:1920年7月15日[11] - 1920年12月1日[12]
  • 吉田庸光 少佐:1920年12月1日 - 1921年12月1日
  • 鈴木清 少佐:1921年12月1日[13] - 1922年4月20日
  • 中込育三 少佐:1922年4月20日[14] - 1923年8月13日[15]
  • 境澄信 少佐:1923年8月13日[15] - 1925年4月15日[16]
  • 後藤鉄五郎 少佐:1925年8月10日[17] - 1925年12月2日[18]
  • (兼)木村一郎 少佐:1925年12月2日[18] - 1926年12月1日[19]
  • 江口松郎 少佐:1926年12月1日 - 1927年4月25日
  • 新美和貴 少佐:1927年4月25日 - 1929年5月10日
  • 佐藤康夫 大尉:1929年5月10日 - 1930年12月1日
  • (兼)市坪正雄 大尉:1930年12月1日[20] - 1931年4月1日[21]

脚注

参考文献

関連項目

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