楠田迪彦
From Wikipedia, the free encyclopedia
経歴
奈良県立郡山高等学校を経て、1951年に彦根経済専門学校(現:滋賀大学経済学部)を卒業した。在学中には軽い肺結核を患い、約3カ月間休学している[2][3]。
卒業後の1951年、関西の平炉メーカーであった日亜製鋼に入社した。多くの同期生は、当時全盛の繊維産業や商社への就職を選ぶ学生が多かったが、将来的な成長が期待できる産業として鉄鋼業を選んだ。日亜製鋼はその後、他社との合併を経て日新製鋼となり、高炉メーカーへと発展した[4][2][1]。
日新製鋼では、主として経理・財務部門を歩んだ。経理部課長を経て、1977年に資金部長となった[4][2][1]。
同社が高炉設備やステンレス鋼関連設備への大規模投資を進めた時期には、国内外の金融機関から低利かつ安定的な資金を調達する業務に従事した。会社の業績が安定した昭和50年代には、国内で転換社債を発行したほか、欧州市場における外債発行にも携わり、資金調達コストの低減と財務内容の改善に取り組んだ[2]。
これらの実績が評価され、1983年に取締役に就任し、1985年に常務取締役へ昇進した[4][2]。
1985年春、それまで未経験であった販売部門への異動を命じられた。1986年には、常務取締役としてステンレスを除く国内販売に関する事項を管掌するとともに、鋼管販売部長を兼任した。鉄鋼製品の拡販を指揮し、1988年には常務取締役兼大阪支社長を務めた[2][5][6]。
1991年、日新製鋼の取締役副社長に就任した。日本鉄鋼輸出組合(現:日本鉄鋼連盟)の理事も務めた[4]。
1993年、日新製鋼を副社長で退社し、同社の関係会社である新和企業株式会社の社長に就任した。新和企業の経営に携わった後、2001年に71歳で退任した。日亜製鋼への入社から数えると、鉄鋼業界および日新製鋼グループでの勤務期間は通算50年に及んだ[2][7]。
略歴
- 1930年 - 大阪府に生まれる。
- 1951年 - 彦根経済専門学校卒業。日亜製鋼株式会社入社。
- 1970年 - 日新製鋼株式会社経理部課長。
- 1977年 - 同社資金部長。
- 1983年 - 同社取締役。
- 1985年 - 同社常務取締役。販売部門へ異動。
- 1986年 - ステンレスを除く国内販売を管掌。鋼管販売部長を兼任。
- 1988年 - 常務取締役兼大阪支社長。
- 1991年 - 取締役副社長。日本鉄鋼輸出組合理事。
- 1993年 - 日新製鋼を退社。新和企業社長。
- 2001年 - 退任。
著書
- 『背のびの人生記』新和企業、2003年。