榊原盛毅

From Wikipedia, the free encyclopedia

国籍 日本の旗 日本
生年月日 (1933-06-30) 1933年6月30日
没年月日 (2022-03-07) 2022年3月7日(88歳没)
榊原 盛毅
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 広島県尾道市
生年月日 (1933-06-30) 1933年6月30日
没年月日 (2022-03-07) 2022年3月7日(88歳没)
身長
体重
182 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1952年
初出場 1952年4月2日
最終出場 1956年3月28日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

榊原 盛毅(さかきはら せいき、1933年6月30日 - 2022年3月7日[1])は、広島県尾道市出身[2]の元プロ野球選手

尾道西高校では一塁手として活躍[3]。1951年の西中国大会では決勝まで進出するが、下関西高に敗れ、甲子園出場を逃した[3]。同期には大田垣喜夫、1学年下に原田信吉菊地博仁がいる[4]

高校卒業後は倉敷レーヨンへの入社が内定していたが、後援会の勧めもあり、1952年広島カープ へ入団[5][6]。大田垣、興国商業から入団した松山昇とともに新人三勇士として期待される[7]

同年の広島は9月28日の試合終了時点で、30勝75敗の勝率.286と苦戦しており、もし勝率3割を切ってシーズンが終了した場合、球団解散が決定していた[8][9]。そうして迎えた9月29日の対名古屋ドラゴンズダブルヘッダー初戦、広島はエース長谷川良平を先発させるが、完封負けを喫する[8]。続く第2戦で初の先発に抜擢されると8回1失点、打者でも4打数3安打2打点と活躍し、プロ初勝利を挙げた[8][9]。榊原の勝利で勢いに乗った広島は次の日のダブルヘッダーを連勝し、その後の8試合を4勝4敗で乗り切り最終的に勝率.316で球団解散の危機を脱した[9]

1953年も25試合に登板するが、1954年に右肩を痛め、1956年限りで引退した[9]

引退後は名城大学に進学し、卒業後は東洋工業に勤務した[9]

詳細情報

年度別投手成績





















































W
H
I
P
1952 広島 15200010----1.00012226.2242230090121186.001.76
1953 25920016----.14341892.199103600252059474.551.46
1954 4000001----.0006912.12561100310222215.232.92
1955 2000000----.000204504000107715.752.25
1956 1000000----.0005100200000000.002.00
通算:5年 471220027----.222634136.11531876003741109946.181.68

背番号

  • 35 (1952年)
  • 12 (1953年 - 1956年)

脚注

関連項目

外部リンク

Related Articles

Wikiwand AI