榎本聡明
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略歴
大阪府出身[1]。1965年、東京大学工学部原子力工学科(現:システム量子工学科)を卒業後、東京電力に入社[2]。入社後、原子炉の設計、原子力発電の企画業務および安全設計の業務に従事するとともに、原子力発電に関する広報業務にも関わる。1984 - 1988年および1990 - 1991年に、東京大学工学部非常勤講師に任じられる。
2004年には社団法人海外電力調査会会長に就任し[3]、少なくとも2009年2月までは現職であった[3](現在は退任している[4])
福島第一原子力発電所には、1970年の1号機の試運転の時を含め4回勤務した[5]。
- 1981年、福島第一原子力発電所技術課長[2]
- 1983年、原子力建設部原子力計画課長
- 1987年、福島第一原子力発電所技術課長
- 1994年、原子力業務部部長
- 1995年、柏崎刈羽原子力発電所長
- 1997年6月、取締役原子力本部副本部長兼技術開発本部副本部長[6]
- 1999年6月、常務・原子力本部長[7]
- 2002年5月、副社長・原子力本部長
- 2004年 社団法人海外電力調査会会長
副社長・原子力本部長であった2002年の時に東京電力原発トラブル隠し事件の責任を取り、当該職を辞した[5]。副社長在任期間はわずか3か月だった。この不祥事が切っ掛けで東京電力の原子力部門(いわゆる原子力村)の実力者が相次いで失脚し、武藤栄が台頭することになる。