武藤栄

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武藤 栄(むとう さかえ、1950年6月28日 - )は、東京電力元顧問。

人物

生まれは東京都文京区護国寺で青年時代まで当地で育つ。小学校4年生の時先輩が持っていたゲルマニウムラジオの工作キットを見て親にせがんで買ってもらった。このことで機械弄りに目覚め秋葉原通いに没頭、当時よくいた電子工作少年となる。小学6年生の時には裏の家の先輩がやっていたアマチュア無線を見てこれに目覚め、中学校入学前にアマチュア無線技士を取得、中学時代にはCW(モールス)にも手を出しその流れで海外在住ハムとの交信に明け暮れ、役員就任後も続けているライフワークとなる(『とうでん』登場時も自宅にタワーを設置している。コールサインはJA1MZM[5])。高校では一転して山岳部に入部するが、これも先輩に誘われたからで、OJT的に安全に登山を行うための技術を学んでいったという[6]

東京大学に進学後、ローマクラブが発表した『成長の限界』を読んでエネルギー問題に興味を抱き原子力工学を専攻した。入社後初の赴任地は福島第一原子力発電所で、GE社の技術者から技術を学び取るため食い入るように質問する者が沢山見られたという[7]

原子力発電に対する姿勢

『とうでん』2008年9月号にて登場した際には「原子力発電というのは、各電力会社が、大きな一つの船に乗っているようなものです。ある電力会社がトラブルを起こすと、ほかの電力会社にも影響が及びます。同じ電力会社とはいえ、それぞれが背負っているものや置かれた状況は異なりますが、それでも、自社の利益だけを追い求めることなく、我が国のエネルギー問題の解決に力を合わせる、いわば「個と全体の調和」を図っていくことが、これからの原子力発電の課題といえると思います。このことは、会社という組織にも当てはまることです。向かう問題は同じでも、人はそれぞれ、価値観や背負っているものによってその見方が違います。このように異なる見方を持つ人が議論を重ね、何が会社のために最善の方法なのかを話し合うことが重要だと思うのです。同じ見方をする人同士は、放っておいても仲良くなります。むしろ、ちょっと違う見方をする人同士が、相互に補い合える関係をつくれるかどうかが、組織の総合力を決するのだと思います。」などと述べている[8]

福島第一原子力発電所事故

論文・寄稿文・懇談会資料

脚注

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