槇 (楢型駆逐艦)

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艦歴
計画1917年度[1]
起工1917年10月16日[1]
進水1917年12月28日[1]
就役1918年4月7日[1]
除籍1934年4月1日[1]
その後1936年5月6日海軍工機学校保管船[1]
性能諸元(計画)
排水量基準:770トン
常備:850トン
全長全長:290 ft 0 in (88.39 m)[注釈 1]
垂線間長:275 ft 0 in (83.82 m)[2]
全幅25 ft 4 in (7.72 m)[注釈 1]
吃水7 ft 10 in (2.39 m)[注釈 1]
機関推進:2軸 x 730rpm
主機:ブラウン・カーチス式単式直結タービン 2基
出力:17,500馬力
ボイラー:ロ号艦本式缶 重油専焼2基、石炭重油混焼2基
速力31.5ノット
燃料重油212トン、石炭98トン
航続距離3,000カイリ / 14ノット
乗員竣工時定員 112名[3]
兵装45口径三年式12cm単装砲3門
三年式機砲(6.5mm機銃) 2挺
45cm3連装魚雷発射管2基6門
搭載艇4隻

(まき)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、楢型駆逐艦の4番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「」があるため、こちらは「槇 (初代)」や「槇I」などと表記される。

1917年(大正6年)10月16日、佐世保海軍工廠で起工[4]。同年12月28日進水[5][注釈 2]1918年(大正7年)4月7日竣工[6]

1934年昭和9年)4月1日除籍。1936年(昭和11年)5月6日に海軍工機学校保管船となる。

艦長

※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 有地十五郎 少佐:1917年12月1日 - 1918年1月21日
  • (兼)有地十五郎 少佐:1918年1月21日 - 4月30日
駆逐艦長
  • 有地十五郎 少佐:1918年1月21日 - 5月1日
  • 小沢潔 少佐:1918年5月1日[7] - 7月2日[8]
  • (心得)長井実養 大尉:1918年7月2日[8][9] -
  • 今泉美啓 少佐:1918年12月1日[10] - 1919年12月1日[11]
  • 松田鹿三 少佐:1919年12月1日[11] - 1920年12月1日[12]
  • 大島平 少佐:1920年12月1日[12] - 1921年11月10日[13]
  • 山中順一 少佐:1921年11月10日[13] - 1923年11月10日[14]
  • (心得)日野昇一 大尉:1923年11月10日[14] - 1923年12月1日[15]
  • 日野昇一 少佐:1923年12月1日[15] - 1925年5月15日[16]
  • 田村劉吉 大尉:1925年10月15日 - 1926年12月1日
  • 木村昌福 少佐:1926年12月1日 - 1929年5月10日
  • 新美和貴 少佐:1929年5月10日 - 1930年6月20日
  • 牟田口格郎 少佐:1930年6月20日 - 1931年10月31日
  • (兼)寺西武千代 大尉:1931年10月31日[17] - 12月1日[18]
  • 曽木与吉 大尉:1931年12月1日[18] - 1932年2月5日[19]
  • (兼)宮崎定栄 大尉:1932年2月5日[19] - 1932年4月1日[20]

脚注

参考文献

関連項目

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