樊市人
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樊 市人(はん しじん、生年不明 - 紀元前150年)は、前漢の人。舞陽侯(在位 紀元前179年 - 紀元前150年)。死後、荒侯と諡された[1]。
父は樊噲で、高祖劉邦に従って功があり、舞陽侯に封じられた。市人は樊噲の庶子である。樊噲は正妻の呂嬃との間に樊伉を儲けており、樊噲の死後は樊伉が舞陽侯を継いだ[2]。呂嬃は劉邦の死後に権力を握った呂雉の妹で、権勢があった。高后8年(紀元前180年)に呂雉が死ぬと、漢の重臣は一斉に起って呂氏を滅ぼした。呂嬃と樊伉も殺され、舞陽侯は一時断絶した[3]。
新たに即位した文帝は、その治世の元年(紀元前179年)に、市人を舞陽侯にして後を継がせた[4]。市人は病気がちで子を作る能力がなく、夫人を自分の弟と交わらせて子を儲けた。それが樊他広である。侯になってから29年後に市人は死んだ[5]。子の樊他広が後を継いだが、6年後に樊家の舎人(身分が低い家来)が樊他広は市人の子ではないと訴え出たため、国を除かれた[6]。