横山博人
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父母ともに開業医[1]。福岡県立嘉穂高校を1966年卒業後上京[1]。大島渚を訪ねて映画界入りを狙ったが果たせず[1]。1971年日本大学藝術学部入学[1]。東映東京撮影所に通いつめ[1]、伊藤俊也監督の口利きで契約助監督になる[1]。大学は1973年に中退[1]。伊藤俊也や石井輝男、深作欣二、中島貞夫、鈴木則文ら東映の監督たち10名につく[1]。
1977年4月工藝舎(1982年、横山プロダクションに改名)を設立[1]。1979年監督デビュー作『純』が第32回カンヌ国際映画祭、批評家週間でオープニング上映[1]。1980年、『純』が国内初公開。自主制作映画としては異例の大ヒット[1]。 その後『卍』(1983)、『フリーター』(1987)『恋はいつもアマンドピンク』(1988)『眠れる美女』(1995)などを監督[1]。 裕木奈江主演の『曖・昧・Me』(1990)をプロデュース。
近年は、後進の指導などにも当たっている。 自らのブログで「シナリオはレーゼシナリオでは駄目だ」と書いている。(外部リンク参照)