横山隆晴
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新潟県新潟市出身。早稲田大学政治経済学部を卒業後、電気メーカー、新潟相互銀行に勤務する[2][3]。
1985年4月、新聞広告を通じて応募した2880人の中から採用された7人のうちの1人としてフジテレビに中途入社[2]。ネット営業部に配属となり[2]、営業、報道、営業と異動する[3]。
1992年3月29日深夜、何年か前に新聞記事で見た地方の高校の話題を発端に思いついた岐阜県立斐太高等学校の卒業式をヤマ場に、高校生の日常、そして旅立ちという人生の分岐点を描いたドキュメンタリー『別離の歌─飛騨高山の早春賦・白線流し─』が放送される[4]。当時、横山は番組を作る編成局の人間ではなく、営業部員だった。営業部は土曜日曜も仕事の入る忙しさであったが、それでも企画プロデューサーとして何度も高山市に足を運び、撮影に立ち会い、打ち合わせを重ねた[3]。このドキュメントを原案に連続ドラマが作られ、1996年1月から3ヵ月間放送された[4]。地方の若者を描き、どこかで『北の国から』に通じるものを感じさせる作品は、地味ながら熱心なファンをつかんだ[4]。以後、ディレクター、プロデューサーとして、数々のドキュメンタリーを手掛ける。
2013年4月、近畿大学総合社会学部教授(客員教授を経て教授)に就任[5]。2018年10月から2020年9月まで同学部長、2021年3月、退職[5]。