横超慧日
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1906年(明治39年)2月21日に愛知県丹羽郡千秋村浮野の真宗大谷派願行寺の住職である横超日南の次男として生まれる[1]。
第八高等学校卒業後、東京帝國大学(印度哲学科)に入学。常盤大定に師事した[1]。1928年(昭和3年)に大学院に進学[2]。1931年(昭和6年)に卒業。東方文化学院(終戦後の昭和23年に東京大学東洋文化研究所に改組)の研究員となる[3]。
1934年(昭和9年)に選ばれて中国の地を初めて踏む。この時の同行者に仁井田陞・青山定雄らがいた[3]。
1939年(昭和14年)に小島常次郎の長女多祢子と結婚[4]。
1949年(昭和24年)に招きを受けて大谷大学に赴任。その後学生部長や文学部長などを歴任。1976年、70歳になるまで教授として尽力し、名誉教授の称号が授与された[5]。退任後も四天王寺や東大寺・真宗大谷派から招きを受けて講義を行った[6]。