常盤大定
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1870年、磐城国伊具郡大張村(現宮城県伊具郡丸森町)で常盤大宣の二男として生まれた。生家は順忍寺。15歳の時に仙台新寺小路の道仁寺に入り、伯父・常盤了然の養子となった。小学校の卒業を待たず東京に出て、大谷教校に入学。大谷教校では漢籍中心であったため、共立学校で併せて英語を学んだ。1889年、第一高等中学に進学。
1895年(明治28年)、東京帝国大学文科大学哲学科に入学。当時、井上哲次郎、元良勇次郎らが教官を務めていたが、最も影響を受けたのは一高時代から徳風会を通じて知っていた村上専精であったという。1898年に卒業。
卒業後は、真宗大谷派講師。1907年、東京帝国大学文学部講師として印度哲学を担当。1921年に文学博士となった。1925年に教授昇格。1931年に東京帝国大学を定年退官し、その後は東洋大学教授となった。
東方文化学院東京研究所が開設されると、評議員となり、また自らも研究員として研究に従事。宗門においては、1939年より浅草本願寺の輪番、東京の宗務出張所長を務めた(1942年まで)。在任中に1923年の関東大震災で焼失した浅草本願寺の堂宇再建が成った。1944年、安藤正純の援助を受けて興亜佛教文化研究所を開設して自ら所長に就いた。
研究内容・業績
家族・親族
- 実父:常盤大宣
- 父(伯父):常盤了然