1958年から1959年にかけて発掘された。現存面積200平方mの範囲内で、大きな墓坑と小さな墓坑を組み合わせた複式合葬墓が3基発見され、それらの間に通常の合葬墓が8基散在していた。
複式合葬墓の構造は、まず東西約2m - 3m、南北約10mの大きな墓坑を掘り、さらにその内部にいくつかの小さな墓坑を南北方向に掘って、それぞれに遺体を埋めるというものであった。3基のうちの1基は大きな墓坑と7つの小墓からなり、別の1基は大きな墓坑と5つの小墓からなっていた。残りの1基は大きな墓坑が完全には残っておらず、小墓が3つだけ確認されている。小墓の被葬者の数は一定せず、老若男女の区別もなかった。4体 - 12体がいずれも二次葬で頭を西向きにして埋められ、副葬品として1組ないし2組の常用土器が置かれていた。1基の複式合葬墓には、おおよそ40体の人骨が埋葬されていた。