橋立 (織物見本帖)
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丹後ちりめんの始祖のひとつ加悦谷(京都府与謝郡与謝野町)の手米屋小右衛門の直系にあたる杉本家が明治期から経営していた大規模な織物工場・西山機業場で製織された、あるいは丹後地方一帯で製織されたと考えられる明治時代末期から大正時代初期にかけての織物65点を収める[3]。丹後ちりめんの生地見本としては現存する最古の見本帳で、縦37.6センチメートル、横27.1センチメートル、厚みは2.8㎝で20ページ、1冊で構成された製品カタログとみられる[3]。表題の「橋立」は、丹後地方を代表する景勝地、天橋立を意識したものと思われる。
掲載されている65点のうち、8点が実用新案登録されており、その登録年は1906年(明治39年) - 1908年(明治41年)となっている。
海外向けと思われる生地は20点あり、柄を織り込んで刺繍のように見せた縫取や、芯の糸に別の糸を巻き付ける壁糸の技法を用いたものが多い。丹後ちりめんは、1900年(明治33年)第5回パリ万国博覧会で、口大野村(京丹後市大宮町)の鵜飼源右衛門が銅賞を受賞したほか、1903年(明治36年)第5回内国勧業博覧会などで多数の受賞者を出しており、海外輸出を念頭においた製織がされた時代であったことがうかがえる希少な資料となっている[4][5]。
収録品名
見本帖には、和装用の白生地のちりめんといった主力製品のほか、草花などの文様を織り込んだ生地や、鮮やかな紅色の生地も収録されている[3]。所有者である杉本家やその他の織物業者が実用新案登録を行った記録も併記されている[3]。
明治時代、織物に使われる生糸は重要な輸出品となったため、国内の一般庶民向けの織物に使用する生糸は不足し、生糸のくずやくず繭を原料に用いた紡績糸や綿糸など、絹糸以外の素材を用いた織物が考案された[4]。海外向けに考案された洋風の織物、絹糸のみで織られた本縮緬のほか、こうした国内向けの安価な織物も多数掲載されている[4]。
織物見本帖「橋立」には、ページ数は付記されていない。ここでは便宜上、台紙の順に仮番を付して掲載順を記載した。なお、1枚の台紙に、生地見本は最多6枚貼りつけられている[6]。
1頁
- 「内地向繻子鶉」 - 登録番号8920 - 1908年(明治41年)5月13日登録
8頁
- 「内地向絞縮緬(2種)」 - 登録番号3260 - 1906年(明治39年)10月6日登録
10頁
- 「内地向漣絣」 - 登録番号4443 - 1907年(明治40年)2月8日登録
- 「外国向千島絣」 - 登録番号5970 - 1907年(明治40年)7月6日登録
- 「内地向(イナヅマ)形橋立縮」及び「内地向(亀甲)形橋立縮」 - 登録番号3461 - 1906年(明治39年)10月19日登録
13頁
- 「内地向真田漣」 - 登録番号4177 - 1907年(明治40年)1月9日登録
20頁
- 「(内地向)橋立縮(鶉織)」 - 登録番号3461 - 登録年月日不明
1頁
- 内地向絞縮緬
- 内地向吉野羽二重
2頁
- 内地向羽二重
- 輸出向絹縮
3頁
- 輸出向鶉
- 内地向橋立縮
- 輸出向無地壁
4頁
- 輸出向羽二重
- 輸出向吉野壁
5頁
- 内地向紋羽二重
- 外国向生立繻子
- 外国向仏蘭西縮緬
6頁
- 内地向綾波
- 外国向紋仏蘭西縫取
7頁
- 外国向仏蘭西壁
- 内地向繻子縮緬
- 外国向繻子入紋沙
9頁
- 内地向橋立絣
- 内地向千島織
- 内地向真田鶉
11頁
- 橋立縮(松葉形)
- 内地向(紡糸製)千歳絽 - 紡績糸使用
12頁
- 外国向紋壁(2種)
- 内地向紡縮緬頭掛地 - 紡績糸使用
- 内地向漣
- 内地向鹿ノ子縮緬
- 内地向縮緬 - 本縮緬
13頁
- 内地向(紡糸製)繻子縞縮緬 - 紡績糸使用
- 内地向橋立縮(3種)
- 内地向絞御絽
14頁
- (内地向)真田縮緬
- (内地向)佐々浪斜子
- (内地向)紋仏蘭西縫取
- (内地向)真田漣
- (内地向)絞縮緬
15頁
- (外国向)縫取紋壁
- (内地向)絞縮緬
16頁
- (内地向)紡糸製繻子鶉 - 紡績糸使用
- 毛布縮緬
- 吉野漣
- (外国向)紋虎白(2種)
- (外国向)縫取紋壁
17頁
- (内地向)絞縮緬
- (内地向)紋繻子縮緬
18頁
- (外国向)紋壁縫取(2種)
19頁
- (内地向)縮緬 - 本縮緬
- (内地向)仏蘭西鶉
- (内地向)鶉
20頁
- (内地向)橋立縮(縮緬織)
- (外国向)鬼壁縫取
- (内地向)橋立縮(鶉織)
- 2-3頁
- 4-5頁
- 7頁
- 14-15頁
