与謝郡与謝野町明石(旧・加悦町明石)からは銅鐸が出土しており、また同地には4世紀中頃に建造された蛭子山古墳があることから、加悦谷では古くから文化的統合の中核が形成されていたとされる[2]。
15世紀には一色氏(丹後国守護)配下の武将である石川氏の居城が「かやの御城」と呼ばれたが、加悦地区ではなく算所地区にありながらこのように呼ばれていた[2]。「かや」が加悦地区ではなく加悦谷を指していたことを示している[2]。近世の加悦谷は丹後ちりめんに代表される丹後機業の中心地となった[2]。
1948年(昭和23年)には与謝郡野田川町に京都府立加悦谷高等学校が開校した。
2006年(平成18年)3月には加悦谷にある与謝郡の3町が対等合併し、与謝郡与謝野町が誕生した。