橘丸 (タンカー)

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クラス 橘丸級タンカー
所有者 帝国石油
旭石油
昭和石油
共同企業
日本油槽船
橘丸
基本情報
船種 タンカー
クラス 橘丸級タンカー
船籍 大日本帝国の旗 大日本帝国
所有者 帝国石油
旭石油
昭和石油
共同企業
日本油槽船
運用者 帝国石油
旭石油
昭和石油
共同企業
日本油槽船
建造所 神戸製鋼所播磨造船所
母港 徳山港/山口県
東京港/東京都[要出典]
姉妹船 橘丸級タンカー2隻
信号符字 SHDF→JAGA[要出典]
IMO番号 27806(※船舶番号)[要出典]
建造期間 209日
就航期間 8,526日
経歴
起工 1920年11月24日[1]
進水 1921年4月5日[1]
竣工 1921年6月7日[1]
最後 1944年10月9日被雷沈没
要目
トン数 総トン数6,539トン、重量トン9345トン[2]
全長 128m[2]
16.5m[2]
深さ 10.1m[2]
高さ 21.94m(水面から前部マスト最上端まで)
8.83m(水面から船橋最上端まで)
22.86m(水面から後部マスト最上端まで)
主機関 三連成汽機[2]
推進器 1軸
出力 3,591IHP[3]
最大速力 14.4ノット[2]
航海速力 9.0ノット[2]
航続距離 10ノットで10000海里[要出典]
高さは米海軍識別表[4]より(フィート表記)
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橘丸(たちばなまる)は、日本で建造された最初の本格的な民間用石油タンカーである。鈴木商店により計画され、1921年(大正10年)に竣工した。

日本におけるタンカーの建造は、1907年(明治40年)の帆走タンカー「宝国丸」、翌年の汽走タンカー「虎丸」を皮切りに始まった。これらが沿岸用の小型船である中、浅野物産は大規模精油事業を志して大型タンカー船隊の整備を図り、1907年には国産初となるはずだった大型タンカー「紀洋丸」を起工した。しかし、浅野物産の事業計画は、日本政府の国内油田保護政策のために頓挫し、「紀洋丸」も貨客船に設計変更されてしまった[5]

その後、海軍艦艇への石油燃料機関導入などにより、日本での石油需要は次第に伸びた。1916年には日本海軍の給油艦として「志自岐」が竣工、本格的な民間タンカー建造の機運が高まってきた。「紀洋丸」も、火災事故を機に当初計画通りのタンカーへの改装工事が開始された。

そこで、第一次世界大戦後、鈴木商店が新造タンカーとして計画したのが「橘丸」型3隻であった。鈴木商店は満州大豆油の輸出用と、北米産石油の輸入用として外航タンカーの整備を企画した。船主は鈴木商店系列の帝国石油で、建造は同じく鈴木商店系列の神戸製鋼所播磨造船所へと発注された。建造番号46[1]1920年(大正9年)11月24日起工[1]1921年4月5日進水[1]。同年6月7日竣工[1]

「橘丸」は日本の近代タンカーのさきがけと目され、その建造は播磨造船所のタンカー建造所としての名声の出発点となった[6]。同型船として「満珠丸」と「干珠丸」の建造が続いた。

設計

本船の船体配置は、船尾機関型で船体中央前寄りに船橋を置く、当時の外航タンカーの典型であった。2本の細長いマストが、船橋を挟んで前甲板と後甲板に立っている。船体内部の構造は最新のイッシャーウッド式を採用し、船首尾方向に走る縦通隔壁などで強固に構成されており、「紀洋丸」よりも近代的である[6]

積荷を入れる油槽は18区画に分かれ、ほかに10区画のサマータンク(夏期タンク)を持っていた。サマータンクとは油槽の舷側上部(船体横断面でいえば両肩の部分)を区切り取るように設けられた補助タンクで、波の荒い海域を航行する際には空荷状態にしておくことで液面を小さくするとともに重心を下げて船の安定性を高める機能があり、天候の良い夏期(サマー)には普通の油槽としても使用できた。

運用

脚注

参考文献

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