1968(昭和43)年、東京農業大学短期大学部農業科に入学と同時に落語研究会に入部。芸名は「二束家三紋」[3]。新宿末廣亭で橘右近の寄席文字を見てカルチャーショックを受け、入門。落研の先輩である橘右一郎[3][4]と共に新宿末廣亭の10日ごとの看板の張り替えを手伝い、右近のビラ文字のコレクションを始める。看板の張り替え作業は、農大落研の後輩に50年以上経った現在も受け継がれている[3]。
短大卒業後帰郷、1970(昭和45)年、関山和夫が主宰する「含笑長屋落語を聴く会」に参加、同年3月、関山の指導のもと「蒲郡落語を聴く会」をスタートさせる。第一回出演は古今亭圓菊(2代目)[5]。関山は亡くなるまで蒲郡の会の観客の前で毎回「おはなし」(講話)を続けた。
1974(昭和49)年、「中部寄席文字研究会」(のちに「中京寄席文字勉強会」と改名)発足。
1975(昭和50)年1月、「橘右太治」の名前を許される。
1982(昭和57)年、鳶職人と出会い「若竹会」(のちに「愛知県連若鳶会」と改名)に入会。10年ほど在籍した。
1996(平成8)年5月、「蒲郡落語を聴く会」の主宰者としての永年の功績を称えられ、蒲郡市教育委員会から顕彰される。
2022(令和4)年、蒲郡落語を聴く会50周年記念例会が開催される。出演は古今亭菊之丞。