橘為義

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橘 為義(たちばな の ためよし、生年不詳 - 寛仁元年10月26日1017年11月17日))は、平安時代中期の貴族播磨守橘仲遠の孫、近江掾・橘道文の子。官位正四位下但馬守

文章生から蔵人所雑色六位蔵人を経て、藤原道長執政期初頭の長徳2年(996年従五位下肥前権守に叙任される。のち、敦康親王の家司を務めながら、伊賀守に任ぜられている。

その後は、左衛門権佐中宮権大進中宮藤原彰子)などの京官を務める一方、摂津守として受領を兼ねた。この間、寛弘8年(1011年従四位下、長和4年(1015年正四位下と昇進している。

後一条朝初頭の長和5年(1016年)ごろに但馬守に任ぜられるが、翌寛仁元年(1017年)10月26日に卒去

藤原道長の家司で、長保5年(1003年)の「左大臣(道長)家歌合」に出詠している[1]。勅撰歌人として、『後拾遺和歌集』(2首)以下の勅撰和歌集和歌作品4首が採られている[2]

官歴

系譜

脚注

参考文献

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