櫛部荒熊

From Wikipedia, the free encyclopedia

櫛部荒熊

櫛部 荒熊(くしべ あらくま[1]1871年 - 1950年)は山口県出身の弁護士[2]。納税額の多寡によらない普通選挙の実現を目指し、全国普選連合会の幹部を務め、後に衆議院議員(静岡県第2区、当選1回)[1][3]に選出された。

長門国萩(後の山口県萩市)で1871年2月23日(明治4年1月5日)出生[4][3]。山口県士族・櫛部善人の長男[2]。川島小学校より萩中学校及び山口中学校を経て司法省文部省認定[3]。1886年(明治19年)に家督を相続。1903年(明治36年)、明治法律学校(後の明治大学)を卒業し、翌年弁護士試験に合格した[5]

東京弁護士会評議員、台湾台中弁護士会長、日本弁護士協会理事などを務める[1][5]

荒熊は全国普選連合会の幹部を務めるなど普選運動に深く関わった論客の一人であり、連合会員の先頭に立って原敬首相邸へ辞職勧告デモも行った[6]。1923年(大正12年)2月には演壇上に乱入した暴漢たちが木刀や棍棒で弁士らを殴打。荒熊も木刀で殴られる事件が起きた[注釈 1]

1930年(昭和5年)2月、第17回衆議院議員総選挙において静岡県第2区より出馬し当選する。所属は立憲民政党[1]。その他、新宝石油取締役や日本煉瓦社長などを歴任した[1]。住所は東京市葛飾区青戸町一丁目[2]1950年(昭和25年)2月15日死去[1]

家族

脚注

参考文献

Related Articles

Wikiwand AI