久邇正子 (久邇宮朝融王王女)
日本の元皇族
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略歴
1926年(大正15年)12月8日午後1時3分、久邇宮朝融王と同妃知子女王の第1王女として誕生[2]。御七夜の12月14日に「正子」と命名された[3]。1944年(昭和19年)12月13日、父宮朝融王の従弟である龍田徳彦伯爵[注釈 1]との結婚が勅許された[4]。翌1945年(昭和20年)4月22日に降嫁した[5]。その後、1946年(昭和21年)に長男・徳久、1950年(昭和24年)に長女・豊子、1952年(昭和27年)に次女・鑑代子の1男2女を儲ける。1966年(昭和41年)に夫婦揃って梨本宮守正王妃であった梨本伊都子[注釈 2]の依頼で同家の養子となり祭祀を継承し[6]、梨本姓を名乗る[注釈 3]。しかし、その後、夫の徳彦とは、1980年(昭和55年)に調停離婚し、以後は「久邇 正子(くに まさこ)」となる。
栄典
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[7]