正親町三条実仲
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経歴
以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。
- 正嘉元年(1258年)2月2日、叙爵。
- 文永4年(1267年)12月19日、従五位上に昇叙。
- 文永5年(1268年)11月17日、侍従に任ぜられる。
- 文永8年(1271年)1月5日、正五位下に昇叙。
- 文永10年(1273年)12月20日、阿波権介を兼ねる。
- 建治2年(1276年)5月26日、左少将に任ぜられる。
- 建治3年(1277年)4月7日、従四位下に昇叙。
- 弘安4年(1281年)2月1日、左少将に還任。3月26日、播磨介を兼ねる。
- 弘安6年(1283年)1月5日、従四位上に昇叙。
- 弘安8年(1285年)1月5日、正四位下に昇叙。
- 弘安10年(1287年)12月10日、但馬権介を兼ねる。
- 正応元年(1288年)6月29日、左中将に任ぜられる。
- 正応3年(1290年)6月2日、右中将に転任。
- 嘉元元年(1303年)10月29日、従三位に叙される。
- 延慶2年(1309年)3月29日、正三位に昇叙。
- 正和元年(1312年)4月10日、従二位に昇叙。
- 元応2年(1320年)9月5日、民部卿に任ぜられるが10月22日には民部卿を止める。
- 元亨2年(1322年)3月6日、出家。法名は勝空。
嫡子の扱いを受けなかったことで実躬に比べると実仲は著しく不遇である。翻ってみれば、当時の正親町三条家は嫡子以外はこの程度の処遇しか受けられなかった、ということになる。公秀の息男である実継と実音が従一位に叙せられ内大臣や准大臣に昇ったのは光厳院の外戚となったからであり、公秀以降の家運の興隆がいかに著しかったかがわかる。