歩兵第118連隊
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| 歩兵第118連隊 | |
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豊橋公園内にある「此処に歩兵第百十八聯隊ありき」の碑。歩兵第118連隊はこの地で編成された。 | |
| 創設 | 1941年 |
| 廃止 |
1944年(昭和19年)7月5日 (総員玉砕、軍旗奉焼に伴い終焉) |
| 所属政体 |
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| 所属組織 |
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| 編制単位 | 連隊 |
| 兵科 | 歩兵 |
| 所在地 | 静岡県静岡市 |
| 編成地 | 愛知県豊橋市(現・豊橋公園) |
| 通称号/略称 | 誉11933 |
| 愛称 | 静岡連隊 |
| 上級単位 | 中部軍→ |
| 最終上級単位 | 第43師団 |
| 最終位置 |
南洋諸島北部支庁柄帆町 (現・ |
| 戦歴 |
大東亜戦争(第二次世界大戦) [サイパンの戦い/第3530船団] |
歩兵第118連隊(ほへいだい118れんたい、歩兵第百十八聯隊)は、大日本帝国陸軍の連隊のひとつ。 同じく静岡県静岡市に本拠を置いた歩兵第34連隊などとともに静岡連隊(しずおかれんたい)と呼ばれた。
- 5月29日 - サイパン島に転進するため、松輸送の一環として編制された第3530船団に乗船し横浜港を出港→詳細は「サイパンの戦い § 日本軍」、および「第3530船団 § 航海の経過」を参照
- 6月4日 - 「勝川丸」が撃沈
- 6月5日 - 「高岡丸」が撃沈。乗船していた連隊長・大佐伊藤豪も船から脱出できず戦没。
- 6月6日 - 「はあぶる丸」が撃沈、一連の輸送船の沈没で本連隊は2240名もの戦没者を出す。第3大隊長の大塚少佐が残存兵の指揮を執る[1]
- 6月7日 - サイパン島に上陸し喪失した被服の受領をするも、アメリカ軍の攻撃が始まる。師団予備として使用される。→「マリアナ沖海戦 § アメリカ軍サイパンへ侵攻」も参照
- 6月17日 - フィナスス山で第1大隊が戦うも山崎少佐以下ほとんどが戦死
- 6月22日 - 師団戦闘司令所が所在したチャチャで第3大隊が戦うも大塚大隊長以下ほとんどが戦死
- 6月26日 - タポチョ山に後退していた神田大尉以下27名が戦死。第43師団の他の連隊と共に総員玉砕。→詳細は「サイパンの戦い § タポチョ山の攻防戦」、および「第3530船団 § 結果」を参照
- 7月5日 - 歩兵第135連隊のそれと共に軍旗を奉焼し本連隊は終焉した。→詳細は「サイパンの戦い § 合同司令部自決」、および「軍旗 § 軍旗の奉焼等」を参照