歩兵第39連隊

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創設 1896年
廃止 1945年
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
歩兵第39連隊
旅順にて撮影された歩兵第39連隊
創設 1896年
廃止 1945年
所属政体 日本の旗 日本
所属組織  大日本帝国陸軍
編制単位 連隊
兵科 歩兵
所在地 姫路
通称号/略称 鉄5446
上級単位 第10師団
最終位置 フィリピン ルソン島北部
戦歴 日露 - 日中 - 第二次世界大戦
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歩兵第39連隊(ほへいだい39れんたい、歩兵第三十九聯隊)は、大日本帝国陸軍連隊のひとつ。

(出典:[3])                                                                

概要

姫路城下・旧中曲輪内に衛戍地を置く(現・姫路市立白鷺小中学校兵庫県立姫路聴覚特別支援学校他)。日中戦争では苦戦しながらも功績を残す。フィリピン防衛戦では建武集団として奮戦するが、日本軍側はアメリカ軍にも苦しめられたが飢餓やマラリアなど伝染病でも苦しめられ、建武集団は壊滅状態になり終戦。生存者は280名余り[4]。沙河会戦、フィリピン防衛戦などでの戦歴を見る限り白兵戦、ゲリラ戦が得意な連隊だと思われる。

血染めの軍旗

同連隊の軍旗は、沙河会戦・山塊石山の夜襲白兵戦において、致命傷を負った旗手の鮮血を受けたため、血染めの軍旗(血染めの連隊旗)と謳われ崇敬されている。同会戦では聨隊長が戦死、旗手も2名が立て続けに戦死するという激戦であった[5]。1919年(大正8年)頃時点で既に旗の布地は旗竿側上部のみが残存している状態で、そこに黒ずんだ血痕が付着していた[6]

終戦の際に軍旗奉焼命令が届かず、話し合いの結果軍旗を分解して、旗竿は漆を剥ぎ取って連隊長が杖に偽装し、旗の布地と房の一部は幹部が分担して秘匿することとなる。旗竿の菊の御紋章は道中で川に投擲処分され、房の残部と旗竿の漆は密かに奉焼された[7]

アメリカ軍の目を免れて持ち帰った軍旗断片は占領期には姫路の尼寺・見星寺ほかに秘匿される。見星寺に米軍の憲兵が調査に入ったときには住職自ら毅然と対応し難を逃れている。1965年(昭和40年)軍旗断片は陸上自衛隊姫路駐屯地内資料館に(一部を見星寺や姫路城下の記念碑地下へ)納められ、これを機に軍旗奉賛会を創立。姫路駐屯地や姫路護国神社軍旗祭も行われるようになる。同会解散後の軍旗は1998年(平成10年)靖国神社遊就館へ安置される[8][9][2][10]

歴代連隊長

歴代の連隊長
(特記ない限り陸軍大佐
氏名在任期間備考
1岡直臣1896.9.25 - 1903.8.8中佐、大佐昇進
2安村範雄1903.8.8 - 1904.10.11戦死し少将に特進
3丸山直寛1904.10.12 -中佐
4久能司1906.3.15 - 1908.3.18中佐、1906.12.大佐
5松村安雄1908.3.18 - 1912.9.28中佐、大佐昇進
6小田切政純1912.9.28 - 1913.8.22
7藤田直太郎1913.8.22 - 1916.1.21
8小島鐐太郎1916.1.21 - 1916.8.18
9島内源一郎1916.8.18 - 1917.8.6
10馬場儀雄1917.8.6 -
11五味為吉1918.10.13 -
12松井石根1919.2.20 -
13山本鶴一1921.5.26 - 1922.8.15[11]
14古川三郎1922.8.15 - 1923.8.6[12]
15鎌田弥彦1923.8.6 -
16天野六郎1926.3.2 - 1928.8.10
17長富初美1928.8.10 -
18舟橋茂1931.8.1 -
19竹本宇太郎1932.12.7 -
20小玉与一1935.3.15 -
22沼田多稼蔵1936.12.1 -
23太田米雄1938.6.22 -
24原田義和1939.8.1 -
25坂井武1940.10.22 -
永吉実展1944.8.14 - 1945.11.13復員[13]

脚注

参考文献

関連項目

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