比企藤十郎
From Wikipedia, the free encyclopedia
| 時代 | 江戸時代前期 |
|---|---|
| 別名 | 実名:稚久 |
| 幕府 | 江戸幕府 大番 |
| 主君 | 徳川家綱→徳川綱吉 |
| 氏族 | 比企氏 |
| 父母 | 父:比企久員 母:深津正武の娘[注釈 1] |
| 兄弟 | 藤十郎、女子(永井直方[注釈 2]の妻) |
| 特記 事項 | 特記事項がない場合は『寛政譜』による |
比企 藤十郎(ひき とうじゅうろう)は、江戸時代前期の旗本。比企能員の末裔を称する比企家600石[注釈 3]の当主であったが、1696年に追放処分を受け、武蔵国比企郡で帰農した。
旗本比企家には他にも「藤十郎」を通称とする人物がいるが[注釈 4]、本記事では旗本としての最後の当主を扱う。実名については「稚久」と翻刻する書籍がある一方[5]、「雅久」とも紹介されている[6][7]。『断家譜』は「清員」とする[1]。