元禄元年(1688年)、一門家老・毛利就直の五男として生まれる。兄の広政が父の実家右田毛利家を相続したため、吉敷家の嫡男となり、宝永7年(1710年)に家督を相続した。兄・広政同様、藩主毛利吉広より偏諱の授与を受けて広包と名乗る。以後、吉広・吉元・宗広の3代の藩主に仕え、国許留守居役、加判役(家老)を務めた。享保4年(1719年)、朝鮮通信使来朝の際に接待役を務める。享保14年(1729年)、吉元の世子・毛利維広の江戸城登城の供をして将軍・徳川吉宗に拝謁する(維広は吉宗の1字を受けて宗広と改名)。
元文2年(1737年)4月23日死去。享年50。家督は嫡男の元直が相続した。