民話社
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1961年、東映出身[1]の大矢敏行によって、児童教育漫画を製作する「教育漫画社」として発足した[2]。
1968年10月[注釈 1]に「民話社」と社名変更し、1969年から「子供のための新しい動画作り」を目標に自主作品やTVアニメの下請けなどを手がけていた[2]。東映動画の出身者が集まって設立したプロダクションで[3]、東映動画のロックアウトのために『デビルマン』の制作当初にスタッフルームとして使われていたこともある[4]。
同社はアニメ制作のほか、家庭の主婦を対象としたアニメ技術者の指導訓練の通信教育業務も行っていた[2]。3か月間の教育で優秀と認められた人は民話社のスタッフとして家庭で仕事ができる仕組みとされていたが、実際に採用された人は100人前後にすぎなかったという[5]。また、通信教育では演出やアニメーターの養成コースも存在したが、トレスやペイントの仕上げコースに最も力を入れていたとされる[6]。
相次いで不渡りを出したため、1974年1月11日に倒産した。負債総額は約1億5000万円、全国の被害者の数は1万人近くにのぼるとみられていた。また、当時の読売新聞では計画倒産の疑惑が報じられていた[5]。倒産後、元従業員らは民話社の「にわか労組」を結成したという[7]。
倒産に伴い夜逃げした[5]大矢敏行社長は、その後、1978年に「代々木アニメーション学院」を設立し、再びアニメーション教育に携わることとなった。