気仙沼市立気仙沼中学校

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過去の名称 気仙沼町立気仙沼中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 気仙沼町(1947年 - 1953年)
気仙沼市(1953年 - )
気仙沼市立気仙沼中学校
北緯38度54分4.02秒 東経141度34分15.7秒 / 北緯38.9011167度 東経141.571028度 / 38.9011167; 141.571028座標: 北緯38度54分4.02秒 東経141度34分15.7秒 / 北緯38.9011167度 東経141.571028度 / 38.9011167; 141.571028
過去の名称 気仙沼町立気仙沼中学校
国公私立の別 公立学校
設置者 気仙沼町(1947年 - 1953年)
気仙沼市(1953年 - )
併合学校 気仙沼市立条南中学校
設立年月日 1947年4月1日
開校記念日 4月18日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
学校コード C104222050017 ウィキデータを編集
校舎面積 7,548 m2[1]
所在地 988-0073
宮城県気仙沼市笹が陣4-1
外部リンク 公式サイト
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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気仙沼市立気仙沼中学校(けせんぬましりつ けせんぬまちゅうがっこう)は、宮城県気仙沼市笹が陣にある公立中学校。略称は気中(けちゅう)。

第二次世界大戦後の学制改革により1947年に開校した中学校である[2]

校歌は1955年に制定された。作詞は気仙沼市出身の商学者・上坂酉蔵が、作曲は作曲家の山田耕筰が手掛けた[3]

沿革

第二次世界大戦の学制改革により1947年に開校したのが起源となる[2]。開校時は校舎を有していなかったため、1949年に独立校舎が完成するまでは隣接する気仙沼小学校の西校舎を間借りして授業を行った[4]。ただし、当時の気仙沼小学校は児童2,700人を有する全国有数のマンモス校であったことから、当校へ教室を割り当てるほどの余裕が無かった[5]。初年度の1947年度に関しては、就学義務のない2・3年生(国民学校高等科生や青年学校本科生の希望者)も入学させたうえで2部授業や分散授業をしない方針を気仙沼町独自に取り決めていたため、14教室分が提供された[6]。そのため小学校は残りの41教室で2,700人を捌かざるを得ず、1教室あたり65人を収容する羽目となった[5]

年表

教育目標

2021年度の教育目標[14]

人間性豊かで 向上心に満ち 夢をもって 磨き合う生徒

学校像

  • 生徒の未来のために、学び合い・高め合いのある、魅力ある教育活動を推進し、地域と協働する学校

施設概要

主な施設。面積は延床面積を掲載。

  • 西校舎(1,781 m2) - 1962年竣工の鉄筋コンクリート造3階建て[2][1]
  • 中央校舎(5,767 m2) - 1985年竣工の鉄筋コンクリート造3階建て[2][1]
  • 屋内運動場(1,781 m2) - 1959年竣工の鉄筋コンクリート造2階建て[8][1]
  • プール - 1969年竣工[2]
  • 校庭
  • テニスコート
  • 部室 - 1986年竣工[2]

学区

  • 気仙沼市
    • 本町1区・2区、舘山1区・2区、古町1区 - 6区、滝の入1区・2区、新町1区・2区、三日町1区・2区、八日町1区・2区、魚町1区 - 3区、太田1区・2区、南町1区 - 4区、河原田1区・2区、幸町1区・2区、内の脇1区・2区
    • 福美町区、化粧坂区、沢田区、陣山区、入沢区、柏崎区、港町区、南が丘区、仲町区、魚市場前区、弁天町区、潮見町区、川口町区

出典[15]

進学前小学校

アクセス

BRT

路線バス

  • 「南町」バス停(市内循環バス・ミヤコーバス)から徒歩で約8分
  • 「気仙沼市役所前」バス停(市内循環バス・ミヤコーバス)から徒歩で約10分

周辺

出身者・関係者

出身者

関係者

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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