水広下池
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都市公園である水広公園内にあり、21,732平方メートル(2.17ヘクタール)の池敷面積および21.81ヘクタールの流域面積を持つ[1]。池には雨水と湧水が流入し、扇川の支流である水広下川[注釈 1]が流出する[1]。
元々愛知郡相原村の敷地であったところに[2]、1751年(宝暦元年)に同郡鳴海村の彦七が築造を開始し、1756年(宝暦6年)に北柴田新田(現在の名古屋市南区元柴田西町・元柴田東町付近)と南柴田新田(現在の東海市南柴田町付近)を開発した納屋町の柴田屋新兵衛へ譲渡したという[3]。ところが1767年(明和4年)に堤が切れ、池敷米を出しながらも柴田新田はこれを修繕せずに放擲する[4]。1792年(寛政4年)に尾張藩郡方代官であった井田忠右衛門が見分し、池の砂が扇川へ流出していたことから鳴海村に修繕させ、以後の水広下池は鳴海村の用水として利用されることになる[3]。
農業用のため池として長らく樹林帯に囲まれていたが、1980年代後半より始まった近隣の土地区画整理ならびに1986年度(昭和61年度)の池周辺の公園整備で、集水域の環境にも大きな変化があった[5]。1988年7月14日には水広下池魚つり場が開設された[6]。2003年4月に土地区画整理の一環で地区公園として整備された[7]。釣り池として親しまれる一方、名古屋市野鳥保護区にも指定され、多くの鳥の飛来が見られる[5]。