水戸光子
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| みと みつこ 水戸 光子 | |
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(1956年以前) | |
| 本名 | 関場 ミツ子 |
| 生年月日 | 1919年3月23日 |
| 没年月日 | 1981年4月5日(62歳没) |
| 出生地 |
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| 死没地 |
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| 職業 | 女優 |
| ジャンル | 映画・テレビドラマ・舞台 |
| 活動内容 |
1934年松竹入社、デビュー。 1945年結婚、引退。 1946年復帰。 1947年松竹退社。 |
| 配偶者 | 森川信(1946年離婚) |
| 主な作品 | |
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映画 『暖流』(1939年 吉村公三郎) 『桜の国』(1941年 渋谷実) 『父ありき』(1942年 小津安二郎) 『女』(1948年 木下惠介) 『女の顔』(1949年 今井正) 『源氏物語』(1951年 吉村公三郎) 『あの手この手』(1952年 市川崑) 『雨月物語』(1953年 溝口健二) 『悲しみは女だけに』(1958年 新藤兼人) 『荷車の歌』(1959年 山本薩夫) | |
水戸 光子(みと みつこ、1919年〈大正8年〉3月23日 - 1981年〈昭和56年〉4月5日[2])は、日本の女優。本名は関場 ミツ子[1]。
愛知県岡崎市立高等女学校(現・愛知県立岡崎北高等学校)を中退した翌1934年(昭和9年)、名古屋万平ホテルから熱海の万平ホテルへ移って働いていたところ、たまたま宿泊していた松竹の井上伊三郎取締役にスカウトされ、松竹蒲田撮影所に入社[3]。
同年大晦日封切りの正月映画『大学の若旦那・日本晴れ』端役にてデビュー。いわゆる「大部屋」の無名女優として[3]3年間の下積みを重ね、1938年(昭和14年)1月に準幹部へと昇進。その後はB級作品ながら主役をつとめるようにもなった。
1939年(昭和14年)吉村公三郎監督の映画「暖流(前篇・後篇)」の看護婦・石渡ぎん役に抜擢され、当時すでに脚光を浴びていた後輩の高峰三枝子と競演して一躍人気を獲得し、以後主演女優として第一線で活躍。
1945年(昭和20年)、俳優の森川信と結婚。女優業を引退して一児をもうけたが翌年には離婚し、同年10月公開の『お光の縁談』(池田忠雄監督)で早くもスクリーンに復帰した。明るい庶民的な役を演じる一方、松竹を離れてからは『女』『王将』『戦火の果て』『雨月物語』『大阪の宿』などで汚れ役もこなして演技の幅を広げた。
エピソード
- 1955年6月19日、ドイツのベルリン国際映画祭とスイスのロカルノ国際映画祭に出席のため、日本を出発。両映画祭に出席した後はヨーロッパ各地を廻り、同7月20日、1ヶ月ぶりに帰国した。当時はまだ海外渡航自由化の前で、貴重なヨーロッパ訪問となった。
- 昭和10年代に国民的アイドルの一人となった水戸[4]だが、昭和49年、戦後29年目にしてルバング島から帰還した小野田寛郎元少尉が「好きな女性のタイプ」として水戸(当時54歳)の名前を挙げ、話題となった[3][5]。
- 同期にデビューした高杉早苗、桑野通子、水戸光子、原節子の4人をはじめとする戦前からのスター女優について、エッセイストの三國一朗は、公私に亘るすべての点で後年のスターとは雲泥の差があり、その名に匹敵する貫禄をそなえていた[3]と述べている。