水戸田村
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| みとだむら 水戸田村 | |
|---|---|
| 廃止日 | 1954年3月1日 |
| 廃止理由 |
新設合併 大門町、櫛田村、浅井村、水戸田村、二口村 → 大門町 |
| 現在の自治体 | 射水市 |
| 廃止時点のデータ | |
| 国 |
|
| 地方 | 中部地方(北陸地方) |
| 都道府県 | 富山県 |
| 郡 | 射水郡 |
| 市町村コード | なし(導入前に廃止) |
| 面積 | 4.16[1] km2. |
| 総人口 |
2,145[1]人 (1954年(昭和29年)3月1日[1]) |
| 隣接自治体 | 二口村、小杉町、櫛田村、浅井村 |
| 水戸田村役場 | |
| 所在地 | 富山県射水郡水戸田村水戸田[2] |
| 座標 | 北緯36度42分14秒 東経137度03分53秒 / 北緯36.70383度 東経137.06483度座標: 北緯36度42分14秒 東経137度03分53秒 / 北緯36.70383度 東経137.06483度 |
| ウィキプロジェクト | |
- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、射水郡水戸田村、開口村、生源寺村、生源寺新村、生源寺出新村、上若林村、市井村、竹鼻村及び藤巻村の区域をもって、射水郡水戸田村が発足する。
- 1913年(大正2年) - 大字生源寺新、大字生源寺出新の2大字を大字生源寺に統合、7大字となる[2]。
- 1954年(昭和29年)3月1日 - 射水郡大門町、櫛田村、浅井村、二口村及び水戸田村が合併して、射水郡大門町が発足する。合併時点での人口は2,145人、世帯数は371戸[1]。
水戸田村の一部には旧十村組時代の慣習的な問題も含めて、小杉町への編入を主張して譲らない者もあり、青年団が中心となり小杉町合併期成同盟会が結成され、殆ど小杉に傾く様努力したが、部落内に不祥事件まで発生し紛糾した。最終的には村民多数の意向に基づき、1953年(昭和28年)12月1日に水戸田村会が大門ブロックに合併の仮議決をし、同年12月14日には他村に先駆けて大門町への合併を満場一致で本議決した(この時に5人の欠席議員があった)。その後も婦人運動が分離請願を陳情するなど、分村合併の主張が続いていた[3][4]。
歴代村長
出典→[5]
- 高畑孫太郎(1889年8月19日 - 1890年5月5日)
- 堀宗兵衛(1890年6月7日 - 1891年5月4日)
- 岩崎与四郎(1891年6月4日 - 1894年7月7日)
- 鈴木孫四郎(1894年8月2日 - 1896年10月12日)
- 鎧塚仕平(1896年11月9日 - 1898年5月10日)
- 三津井政次(1898年10月1日 - 1899年5月1日)
- 堀宗平(1899年7月1日 - 1901年4月22日)
- 三津井政次(1901年6月2日 - 1909年6月11日、2選)
- 鎧塚哲史(1909年6月29日 - 1912年1月31日)
- 堀宗兵衛(1912年4月5日 - 1914年11月27日)
- 鎧塚哲史(1914年12月8日 - 1918年12月5日)
- 高橋慶太郎(1918年12月24日 - 1922年12月22日)
- 鈴木慶治(1923年3月25日 - 1927年3月25日)
- 堀宗弘(1927年4月18日 - 1931年4月17日)
- 鎧塚哲史(1931年4月25日 - 1931年11月2日)
- 山崎要吉(1931年11月16日 - 1935年11月14日)
- 堀宗弘(1935年11月28日 - 1939年11月27日)
- 三津井治作(1939年12月11日 - 1946年11月21日、2選)
- 松本助次郎(1947年5月8日 - 1951年4月4日、公選)
- 山崎茂之(1951年4月25日 - 1954年2月28日、公選)
歴代村議会議長
出典→[6]
- 沖友次郎(1947年3月8日 - 1949年3月31日)
- 山崎勝治(1949年4月1日 - 1951年4月21日)
- 沖友次郎(1951年5月4日 - 1952年5月11日)
- 高橋栄蔵(1952年5月12日 - 1953年5月3日)
- 田中勝二(1953年5月4日 - 1954年2月28日)