水谷川忠俊
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家族・親族
近衛秀麿の三男(非嫡出子)として大阪市東区久宝寺町に生まれる[3]。母は坪井文子。1937年7月22日、父秀麿により、大阪市東区役所に出生届が出される[4]。1939年10月19日、父の末弟である水谷川忠麿の養子となり、忠俊と改名[1]。物心ついたときは東京千駄ヶ谷の忠麿のアトリエにおり、生母の記憶はないという[4]。
学習院初等科在学中、奈良県に転居し、奈良女子高等師範学校附属小学校(現・奈良女子大学附属小学校)から同中学校・同高校(現・奈良女子大学附属中等教育学校)を卒業。上京後、山本直純の助手を務めながら作曲を学ぶ。1962年8月、マドリード音楽院の給費留学生の試験に合格し、スペインに留学[5]。1963年、ベルリン市立音楽院(現・ベルリン芸術大学)に留学。1968年、日本に帰国。
実兄の近衛秀健も作曲家で指揮者。妻は子爵阿野季忠の長男阿野季房の娘で、学習院初等科の同級生だった佐喜子[5]。長女の水谷川陽子はヴァイオリニスト、次女の水谷川優子はチェリスト。
