水谷川忠起 From Wikipedia, the free encyclopedia 水谷川 忠起(みやがわ ただおき、嘉永元年3月17日(1848年4月20日) - 大正12年(1923年)5月25日)は、日本の僧侶、神職。還俗前は応昭(おうしょう)を名乗った。僧位・僧階は法印大僧正。 水谷川忠起 水谷川忠起(大正頃) 一乗院門跡(第42代)、春日大社宮司などを歴任した。 来歴 近衛忠熙の八男、母は薩摩藩主・島津斉興の養女(実妹)・興子[1]。5歳で一乗院門跡の法嗣として仏門に入る。慶応4年(1868年)に還俗し、明治2年に華族に列した。同様に興福寺系寺院の住職から還俗して華族となった者らは、総称して奈良華族と呼ばれた。明治17年(1884年)には、華族令に基づき男爵となった[2]。明治28年(1895年)、「水谷川」の家名を賜わり、春日大社宮司となる。 家族 妻:堯子(大谷光勝娘) 女子:恭子(床次竹二郎夫人) 養子:忠麿(近衛篤麿四男、、1902年8月27日-1961年5月20日) 長男:忠順(1907年4月15日生、森本六兵衛養子[3]) 系譜 水谷川家 水谷川家は、近衛忠熙の子である水谷川忠起を始祖とし、奈良華族として列せられた。 →詳細は「水谷川家」を参照 近衞家 近衞家は、藤原忠通の子である近衞基実を始祖とし、五摂家の一つであった。 →詳細は「近衛家」を参照 皇室との関係 後陽成天皇の男系十世子孫である。後陽成天皇の第四皇子で近衛家を継いだ近衛信尋の男系後裔。 詳細は皇別摂家#系図も参照のこと。 脚注 [脚注の使い方] [1]水谷川家譜 [2]小田部雄次 2006, p. 341. [3]平成新修旧華族家系大成下p701 参考文献 小田部雄次『華族』中央公論新社、2006年。 関連項目 奈良華族さらに見る 日本の爵位 ... 日本の爵位 先代叙爵 男爵水谷川家初代1884年 - 1923年 次代水谷川忠麿 閉じる Related Articles