延享4年(1747年)10月19日、尾張藩士水谷光長の子として生まれた。享和2年(1802年)3月4日隠居し、長男水谷豊文に家督を譲った。
松平君山に本草学を学び、虎薬師僧某、總見寺塔頭陽嵓院和尚某、柳薬師僧某等を同学とし、毎月17日に集って本草会を開いたという。なお、明治に史料の読み違えから覚夢自身が柳薬師僧との誤伝が生じた。
また、神波挺庵・全庵「尚左随筆」には鶴翁として載るが、覚夢翁の誤伝か、別号か不明。
また、画業も修め、玉泉と号したという。
文政13年(1830年)9月25日病没し、春日町泰昌寺に葬られ、廃寺後矢場町政秀寺に改葬された。