高校卒業後、大学浪人中に俳優を志して文学座付属演劇研究所に入り、1968年に劇団NLTに入団する[2][4][5]。
NLTの先輩で、後年『金メダルへのターン!』『レインボーマン』で共演した俳優の長沢大は、初対面の印象として「いい意味で世間知らず。清々しい印象で、アドバイスに対しても一生懸命素直に聞いてくれた」と述懐している[4]。また、NLTで一緒だった伴大介は、水谷とともにNLTが千葉県で経営していた海の家で一緒に仕事をしたことがあるという[6]。
1970年、テレビドラマ『金メダルへのターン!』にレギュラー出演[2]。
1972年放送の特撮テレビドラマ『レインボーマン』では、主人公・ヤマトタケシを演じる。オーディションには多数の応募者がいたが、澄んだ瞳が決め手となり原作者の川内康範が選んだ[3][5]。放送開始時の紹介記事では「テレビドラマは、緊張の連続なので疲れます。不安だらけなので落ち着きません」と述べていたが[2]、放送中盤である1973年4月の紹介記事では「ほかの作品と違ってストーリーが連続しているのでやりがいがあります」と述べている[3]。また、『レインボーマン』プロデューサーの野口光一は水谷について「演技力もあり童顔なのでこの種の作品には向いている」と評している[5]。
1972年末にNLTを退団。東宝テレビ部の専属となる[5][1]。
趣味は読書で、1973年の記事では「文学から娯楽まで乱読ですが、文字に接しないと落ち着かないところがある」として、毎晩の読書は欠かさないと答えている[5]。特技は水泳と柔道で、高校時代は水泳選手だった[2][3][5]。
1979年放送の時代劇テレビドラマ『新五捕物帳』第58話「ふきっ溜りの青春」の長三郎役を最後に俳優業を引退し、実家の稼業「カメラの水谷」を継いだ。