水野南北
From Wikipedia, the free encyclopedia
水野南北は、大坂阿波座(大阪市西区)生まれ。実家は鍛冶職だったが、幼い頃に両親を亡くし、伯母に育てられた[3]。鍵鍛冶であったことから「鍵屋熊太郎」と呼ばれていたらしいが、7歳頃から飲酒にふけり、成長してからも酒・博奕・口論に明け暮れ、20歳頃に酒代欲しさに刃傷沙汰を起こし、半年間ほど牢に入れられた[4]。のちにその悪行を諫めた真言宗僧侶の海常から観相術を伝授され、以後その道に入る。やがて乞われて相法書を出版し、実力、人気ともに当時随一の観相家となった。
このように観相家として大成した水野南北だが、20代からの多くの観相の経験から、節食が寿命を延ばしさらには運勢を改善することを確信するに至り、40代の後半からは観相を止め、その節食開運説を『相法脩身録』などとして出版した。
50代以降は住まいを京に定め、節食開運説の普及に専念した。その節食開運説に強い影響を受けた者の一人が、直接の門人であった井上正鉄である。