水野南北

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水野 南北(みずの なんぼく、宝暦7年(1757年)または宝暦10年(1760年[1] - 天保5年11月11日1834年12月11日[2])は、江戸時代後期の観相家。当時、日本一の観相家といわれ、現代においてもその著書で観相を学ぶ者は多い。また「節食開運説」の提唱者でもある。

水野南北は、大坂阿波座大阪市西区)生まれ。実家は鍛冶職だったが、幼い頃に両親を亡くし、伯母に育てられた[3]。鍵鍛冶であったことから「鍵屋熊太郎」と呼ばれていたらしいが、7歳頃から飲酒にふけり、成長してからも酒・博奕・口論に明け暮れ、20歳頃に酒代欲しさに刃傷沙汰を起こし、半年間ほど牢に入れられた[4]。のちにその悪行を諫めた真言宗僧侶海常から観相術を伝授され、以後その道に入る。やがて乞われて相法書を出版し、実力、人気ともに当時随一の観相家となった。

このように観相家として大成した水野南北だが、20代からの多くの観相の経験から、節食が寿命を延ばしさらには運勢を改善することを確信するに至り、40代の後半からは観相を止め、その節食開運説を『相法脩身録』などとして出版した。

50代以降は住まいをに定め、節食開運説の普及に専念した。その節食開運説に強い影響を受けた者の一人が、直接の門人であった井上正鉄である。

著書

  • 南北相法』正萹後篇全十巻(山城屋佐兵衛ほか、1788年)
  • 『南北相法極意抜粋』また題簽によっては『南北相法脩身録』全一巻(水野南北蔵版、1812年)
  • 『相法脩身録』全四巻(扇子屋利助ほか、1813年)
  • 『南北相法極意修身録』(『相法脩身録』活字版。人間医学社、1952年)
  • 『現代訳南北相法-天保書院蔵』(自然社、1989年)
  • 『修身録』(『相法脩身録』活字版。土曜社、2022年)

脚注

参考図書

外部リンク

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