水野甚次郎 (5代)
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広島県出身[9]。先代甚次郎の長男[3][7][10]。東京物理学校(現東京理科大学)で学んだ[5]。1906年(明治39年)以降、土木建築請負業を経営[4]。1920年(大正9年)呉市会議員当選し[3][4]2期在任[3]。1926年、市会議長に就任する[4]。1927年(昭和2年)水野土地合資会社を創立、無限責任社員となる[4]。
1928年(昭和3年)家督を相続し[7]、恭造を改め襲名する[2][3][9]。1929年(昭和4年)合名会社水野組を創立、代表社員となる[4][11]。1932年(昭和7年)市会議長に就任[4][11]。同年、広島県多額納税者として貴族院議員に互選され[4][11]、同年9月29日に就任し[12]、交友倶楽部に所属し1946年(昭和21年)12月6日まで在任[5][13]。
1933年(昭和8年)呉商工会議所顧問[11]。1937年(昭和12年)5月、呉市長に就任し、1941年(昭和16年)5月に再選され、同年12月まで在任[3][14]。戦後、1946年(昭和21年)1月、呉市長に再選され、同年11月まで在任し[3][15]、あわせて3度呉市長をつとめた[1]。その後、公職追放となる[16]。
