水野義忠

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水野 義忠(みずの よしただ、永禄10年(1567年) - 慶長7年10月11日1602年11月24日))は、江戸幕府旗本水野忠分の次男で兄に分長、弟に重央吉勝松平勝政らがいる。

幼少時より徳川家康に仕え、天正18年(1590年)の小田原征伐に供奉し、同年9月に大番頭となる。天正19年(1591年)に武蔵国埼玉郡太田荘、上総国山辺郡土気荘、市原郡のうちに2000石を賜る。天正20年(1592年)御朱印を賜る。慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いでは徳川秀忠に附属し従軍した。慶長7年(1602年)没、享年36。法名は玄寿。足立郡本郷村の傑伝寺に葬られた。

長男の忠保が家督を相続し、次男の光綱が別家を興した。娘は皆川宗富に嫁いだ。

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