太和5年(481年)、北魏の孝文帝は祖母の馮太后のため、永固陵を造営した。1976年に永固陵は発掘された。
過去に何度も盗掘を受けた永固陵は、1辺117m - 124mの方形墳を有し、墓道・前室・甬道・後室の4部分からなるレンガ積みの多室墓である。前室の平面は台形で、甬道によって後室とつながっている。前室および甬道の天井はアーチ式である。
甬道の前と後に、それぞれ石積みの大きなアーチ門が設けられていた。門は尖頭アーチ形のまぐさ・門柱・敷居・虎の頭をかたどった土台石・門扉という5つの部分からなっていた。
後室の平面は6.4m×6.83mのほぼ正方形を呈し、壁面が外に向かって円弧状にふくらんでいた。天井部は、ピラミッド状に先端がすぼまった形に造られ、その中央に蓮華の図案を彫刻した白い砂岩がはめこまれていた。
永固陵は、過去に発見された魏晋南北朝時代の墓では最大規模であり、造営に用いられたレンガは墓全体で20万個に達する。
出土品はいくつかの石彫のほか、土器・磁器・白釉のかかった双耳罐・銅製の簪・骨製の簪・鉄製品・ガラス製の環・絹織物の残片などであった。