永島卓
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愛知県碧南市生まれ。愛知県立碧南高等学校卒業後、結核に侵され、療養中に詩作を始めた。病気が治ったときに「楽に入れるところ」と碧南市役所の試験を受け、合格[2]。1958年(昭和33年)に入庁[3]。市役所勤務の傍ら、『現代詩手帖』『あんかるわ』『菊屋』などに詩を発表した。また、詩誌『碧南詩人』『反碧南文化』を編集[4]。
経済環境部長や建設部長などを歴任し、中部電力碧南火力発電所(現・JERA碧南火力発電所)の誘致に関わった[3]。1995年(平成7年)3月、市役所を総務部長で定年退職。同年12月20日、任期満了に伴う碧南市長選挙に立候補する意向を表明[5]。表明時に「文化人グループや友達などから推され、断り切れなくて」と明かした[2]。
1996年(平成8年)4月21日に行われた碧南市長選挙に立候補したのは永島、前市助役の久田昭一、会社社長の鈴木正徳の3人。永島には自民系などの現職市議7人、自民党碧南支部長の小林秀央県議、建設業団体、漁業協同組合などがつき、久田には自民系、公明党、新進党の市議18人、自民党碧南支部幹部などが応援に入ったため、保守分裂選挙となった。4月21日午後9時10分頃、開票所の支援者から「当選確実」の一報が入ると、同市栄町の永島の選挙事務所に集まった200人の間から歓声が起こった[6]。4月29日、市長に就任。
2000年(平成12年)、無投票により再選。
2004年(平成16年)、自民党・公明党の推薦を受けて市長選に立候補。元市職員の祢宜田知司を破り3選[7]。
2008年(平成20年)の市長選に際しては、版画家で元市議の鍔本達朗を後継指名し、任期満了で退任した[8]。なお、この年の市長選は激戦の末、元市議の禰冝田政信が鍔本、元市議の生田哲也を破り初当選した[9]。同年、旭日小綬章受章[10]。
2016年7月27日、死去[3]。82歳没。
