Wikiwand AI

南京条約

1842年にアヘン戦争を終結させるため、清とイギリスの間で結ばれた講和条約 From Wikipedia, the free encyclopedia

南京条約(ナンキンじょうやく)とは、1842年にアヘン戦争(第一次アヘン戦争)を終結させるため、清とイギリスの間で結ばれた講和条約。江寧条約(こうねいじょうやく)ともいう[1]。

通称・略称 江寧条約
署名場所 南京
締約国 イギリスの旗 イギリス
清の旗 清
概要 南京条約, 通称・略称 ...
南京条約
通称・略称 江寧条約
署名 1842年8月29日(道光22年7月24日)
署名場所 南京
締約国 イギリスの旗 イギリス
清の旗 清
当事国 清国とイギリス
言語 中国語と英語
主な内容 アヘン戦争の終結
テンプレートを表示
閉じる

概要

1842年8月29日(道光22年7月24日)、イギリス海軍戦列艦コーンウォリス艦上で調印された条約である[2]。

イギリス側から貿易監督官ヘンリー・ポッティンジャー[2]、清国側から欽差大臣便宜行事の耆英、両江総督部堂の牛鑑、江蘇巡撫院の程矞采、乍浦副都統紅帯子の伊里布が調印した[2]。

条約の内容

  1. 香港島のイギリスへの割譲(舟山と厦門は賠償金の支払い後に返還)[2]
  2. イギリス人の広州、厦門、福州、寧波、上海の居住権の承認とこれら5港の開港及びイギリス領事の居住[2]
  3. 公行の廃止[2]
  4. 賠償金2,100万ドルの支払い(うち最初の600万ドルの支払いまで南京封鎖)[2]

雨と湿気による環境悪化でイギリス軍に死者や罹患者が続出した。ポッティンジャーは到着を待たずに大半の艦隊を南京から撤退させ、600万ドルの賠償金が払われ全艦隊が撤退したのは10月12日のことである[2]。

附属協定

その後、南京条約の附属協定として「五口通商章程」と「虎門寨追加条約」(1)領事裁判権(治外法権)(2)片務的最恵国待遇(3)協定関税(関税自主権喪失)(不平等条約)が締結された。

この条約により、それまで強い制限下でヨーロッパとの交易を広州1港で行っていた体制「広東システム」が終結した。

1860年に九龍が租借圏に加えられ、ハチソン・ワンポアのルーツとなった。

脚注

関連項目

Related Articles

Timelines

Top Qs

Fact Checks