江簡珪 From Wikipedia, the free encyclopedia 在位 泰豫元年6月24日 - 元徽5年7月7日(472年7月15日 - 477年8月1日)全名 江簡珪配偶者 後廃帝氏族 済陽江氏江皇后 南朝宋の皇后在位 泰豫元年6月24日 - 元徽5年7月7日(472年7月15日 - 477年8月1日)全名 江簡珪配偶者 後廃帝氏族 済陽江氏テンプレートを表示 江 簡珪(こう かんけい)は、南朝宋の後廃帝劉昱の皇后。本貫は済陽郡考城県。 北中郎長史江智淵の子の江季筠の娘にあたる。泰始5年(469年)、明帝が太子妃となる候補を探させたが、名家の娘には不都合が多く、門閥の後ろ盾を持たない江氏が卜筮により最も吉とされて、簡珪は東宮に入った。泰始6年(470年)、皇太子妃として立てられた。泰豫元年(472年)4月に劉昱が即位すると、同年6月に簡珪は皇后に立てられた。昇明元年(477年)、劉昱が廃位されると、簡珪は蒼梧王妃に降格された。 逸話 江簡珪が皇太子妃に立てられると、朝士や州刺史・郡太守たちはこれを祝って贈り物を献上し、多くは値百金に近いものであった。始興郡太守の孫奉伯は琴と書を献上しただけだったため、明帝の怒りを買って、毒薬を与えられて死を命じられた。 伝記資料 『宋書』巻41 列伝第1 『南史』巻11 列伝第1 表話編歴南朝の皇后宋 孝穆趙皇后* / 孝懿蕭皇后* / 武敬臧皇后* / 張太后 / 章胡太后* / 少帝司馬皇后 / 文元袁皇后 / 昭路太后 / 宣沈太后 / 殷皇后 / 孝武文穆王皇后 / 献何皇后* / 前廃帝路皇后 / 明恭王皇后 / 後廃帝江皇后 / 謝皇后(順帝) 斉 高昭劉皇后* / 武穆裴皇后* / 文安王皇后* / 何皇后(鬱林王) / 王皇后(海陵王) / 明敬劉皇后* / 褚皇后(東昏侯) / 王皇后(和帝) 梁 文献張皇后* / 武徳郗皇后* / 穆丁太后* / 文宣阮太后* / 簡文簡王皇后* / 張皇后(豫章王) / 王皇后(敬帝) / (後梁)宣静王皇后 / (後梁)張皇后(明帝) / (後梁)蔡皇后(後主) 陳 武宣章皇后 / 沈皇后(文帝) / 廃帝王皇后 / 柳皇后(宣帝) / 沈皇后(後主) *:追尊皇后・皇太后 Related Articles