池田方智
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略歴
寛政4年(1792年)2月28日、岡山藩家老池田博道の嫡男博教の庶長子として備前岡山内山下本邸に誕生。表向きは祖父博道の末子とされ「森榮之進」と名乗る。母は側室遠山氏。
文化元年(1804年)9月に「池田榮馬方智」と名前を改める。[2]
文化3年(1806年)8月20日に実父(表向きは兄)で建部池田家当主の博教が急死し、嫡子の弁之進(博忠)が幼いことから、中継養子(看抱、看抱養子とも言う。家督を継ぐべき子供が幼い場合に、親族が成長するまで当主を代行すること)として11月9日に家督と知行1万石を相続し家老となる。同日、火消代番。
文化4年(1807年)5月24日、初めて藩主斉政に拝謁して家督相続の御礼を言上した。文化5年(1808年)8月、火消代番を免じられる。
文政3年(1820年)2月9日、病により家督を養子の博忠に譲り、西川下邸に隠居した。
天保12年(1841年)8月13日、岡山内山下本邸で死去。享年50。岡山小橋町國清寺に葬られた。[2]