嘉永6年(1853年)岡山藩家老池田長常の次男として岡山に生まれる。明治3年(1870年)父長常の隠居により家督相続。閑谷学校で山田方谷に陽明学を学ぶ。英田郡長、磐梨郡長、二十二銀行取締役、二十二貯蓄銀行頭取を歴任。明治33年(1900年)男爵に叙され華族となる。大正2年(1913年)3月4日夜、妹婿・花房職居の訃報を聞いて、電話するために商業会議所に向かった際、誤って井戸に落ちて死去[2]。享年61。家督は養子長康(元岡山県令、貴族院議員千坂高雅の六男)が相続した。元旗本で賀陽郡長の花房職居に妹が嫁いでいる。