千姫

日本の安土桃山~江戸時代の女性、武将・徳川秀忠の娘、武将・豊臣秀頼の正室 From Wikipedia, the free encyclopedia

千姫(せんひめ)は、安土桃山時代から江戸時代の女性。豊臣秀頼本多忠刻正室。父は徳川秀忠、母は浅井長政の三女である浅井江(太閤豊臣秀吉の養女・達子)。出家してからは「天寿院」「天樹院」の両様を用いた[3]

生涯

慶長2年(1597年)5月10日、伏見城下の徳川秀忠屋敷で産まれる[3]

慶長8年(1603年)に7歳で秀頼と結婚し、乳母刑部卿局とともに大坂城に入る。

慶長20年(1615年)の大坂夏の陣では、祖父・徳川家康の命により落城する大坂城から救出される。その後、秀頼と側室の間の娘・天秀尼が処刑されそうになった時に、千姫は彼女を自らの養女にして命を助ける(秀頼淀殿に対する助命嘆願は聞き届けられなかった)。

元和2年(1616年)、桑名城主・本多忠政の嫡男・本多忠刻と再婚することになり、江戸化から桑名に輿入れした[4]。この時、津和野藩主・坂崎直盛が輿入れの行列を襲って千姫を強奪する計画を立てていることが発覚し、直盛は家臣により殺害され、それを直盛が自害したように見せかけたが、坂崎家改易処分となった(千姫事件[5]

同年9月26日に桑名城に着いた。この時に10万石の化粧料を与えられたといわれる。

翌元和3年(1617年)、本多家が播磨姫路に移封になった時には、8月28日に桑名を発って姫路城に移り、播磨姫君と呼ばれるようになる。

翌元和4年(1618年)には長女・勝姫池田光政正室、池田綱政生母)、元和5年(1619年)には長男・幸千代が生まれた。しかし、元和7年(1621年)に幸千代が3歳で没したのを始め、寛永3年(1626年)には夫・忠刻、姑・久仁姫、母・達子が次々と没するなど不幸が続き、本多家を娘・勝姫と共に出ることとなった。江戸城に入り、出家して天樹院と号す[5]。出家後は娘と2人で竹橋御殿で暮らした[5]

寛永5年(1628年)に勝姫が父・秀忠の養女として池田光政の元へ嫁ぎ、一人暮らしとなる。池田家に嫁いだ一人娘のことを心配し、「天樹院書状」を送っている。

寛永9年(1632年)、父・秀忠が薨去。

寛永16年(1639年)、光政と勝姫の嫡男・池田綱政(千姫の外孫)が誕生した。

知恩院の千姫の宝塔

寛永20年(1643年)、鎌倉東慶寺の伽藍を再建する。

正保元年(1644年)には弟・徳川家光厄年を避けるために江戸城から移った家光の側室・夏(後の順性院)とその後生まれた家光の三男で甥の綱重と暮らすようになる。綱重を養子にすることで大奥に対して大きな発言権を持つようになり、4代将軍・家綱の時代になっても大奥の最高顧問的な権威をもっていた。寛文5年(1655年)の越前松平家福井藩主・松平光通)の婚姻に関して、嫁側である越後高田藩勝姫(千姫の妹、越後高田藩主・松平光長の母)に依頼されて、幕府に対して介入を行った。

明暦3年(1657年)の明暦の大火で竹橋の邸が焼失した時には、叔父・徳川頼宣紀州藩主)の屋敷に一時寄留する。

寛文6年(1666年)2月6日[2][4]、江戸で死去。享年70[2][5][6]

亡くなった夜、曾祖母・於大の方の菩提寺である小石川伝通院に納められ、導師・知鑑(知恩院37世)により葬儀が行なわれた。墓所は伝通院と茨城県常総市天樹院弘経寺にあり、また徳川家松平家)が三河時代から帰依していた浄土宗の総本山である京都の知恩院に、定例により分骨され宝塔に納められた。知鑑は後に位牌や遺物を祭るため、伊勢に寂照寺を開いた。戒名は「天樹院殿栄譽源法松山禅定尼」。

人物

『魁題百撰相 秀頼公北之方』による千姫の錦絵(月岡芳年画)
  • 淀殿に仕えた菊の回想記には、千の鬢曽木が記載されており、この儀式を淀殿が行っている。その様子は、千を碁盤の上に立たせて、夫の秀頼が筍刀で髪を少し切ったとされている[7]
  • 穏和な性格の持ち主と伝えられる一方で、秀頼と側室の間に生まれた娘・天秀尼が処刑されそうになった際に体を張って必死の助命嘆願を行い、その結果、天秀尼は助けられたとされる。天秀尼は後に「縁切り寺」として有名な東慶寺の住職となった。
  • 曾祖父・織田信秀と祖母・の聡明さと美貌を受け継いだ、美しい姫君であったという。2人目の夫・本多忠刻(母・久仁姫は徳川家康と織田信長の孫で、千姫の従姉である)も眉目秀麗であったといわれ、美男美女夫婦で仲睦まじかった。
  • 亡くなった際、娘・勝姫の長女である奈阿姫(本多忠平室)は祖母の菩提を弔うために「浄土三部経」を書き写し、弘経寺に納めた。奈阿姫の書いた「浄土三部経(紺紙金泥阿弥陀経)」は現在、茨城県常総市指定文化財となっている。
  • 祖父・家康や父・秀忠から可愛がられ、また、弟・家光とも姉弟仲は良好だったらしい(しかし、秀忠は大坂の陣で秀頼と共に自害しなかった千姫に対して怒り、「女なれども、秀頼とともに焼死すべきところに、(城を)出てきたのは見苦しい」とまで言い放ち、しばらく娘である千姫と対面すらしなかったという『大坂記』)。歴代の幕府もその経歴から処遇に関しては細心の注意を払った。
  • 江戸時代に『吉田御殿』(あるいは『千姫御殿』)の伝承があり[注 2]、夜な夜な美男を招き入れては殺す千姫像は、錦絵浪曲にもなった。昭和時代においてもその伝承を基にした映画[注 3]やテレビドラマ[注 4]が制作され、広く知られていたが、史実ではない。豊臣家や「千姫事件」の坂崎直盛への同情が生んだ民間伝承である。

侍女

血筋

徳川慶喜は千姫の血を引いている[10]

 
 
 
 
 
 
 
 
本多忠勝
 
本多忠政
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
本多忠刻
 
 
 
 
 
 
 
 
 
織田信長
 
徳姫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
久仁姫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
松平信康
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
勝姫
 
池田綱政
 
池田政純
 
静子
 
一条溢子
 
徳川治紀
 
徳川斉昭
 
徳川慶喜
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
織田信秀
 
 
徳川家康
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
徳川秀忠
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
お市
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
千姫
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊臣達子
 
 
 
 
 
 
 
 
浅井長政
 
 
 

千姫が登場する作品

映画

テレビドラマ

漫画

小説

舞台作品

楽曲

  • さくらゆき『催花の雨』(2024年、作詞:北織さよ、作曲:眞鍋香我)

テレビ番組

脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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