沈遘 (五代) From Wikipedia, the free encyclopedia 沈 遘(しん こう、生年不詳 - 956年)は、五代十国時代の官僚。字は期遠。本貫は宋州宋城県。 永済県令の沈振の子として生まれた。幼くして父を失い、苦学して弱冠にして進士に及第し、校書郎を初任とした。御史台主簿から監察御史に任じられた。五度異動して金部郎中となり、三司判官をつとめた[1]。 後周の広順2年(952年)、沈遘は本官のまま知制誥をつとめた。顕徳元年(954年)、世宗柴栄が即位すると、沈遘は翰林学士に抜擢された。顕徳2年(955年)、中書舎人に任じられ、翰林学士をつとめた。顕徳3年(956年)夏、世宗の南征に扈従し、病にかかって帰り、開封府で死去した[1]。 脚注 1 2 旧五代史 1976, p. 1731. 伝記資料 『旧五代史』巻131 周書22 列伝第11 参考文献 『旧五代史』中華書局、1976年。ISBN 7-101-00321-4。 Related Articles