河内部阿斯比多は、百済官位を有していない[4]。『日本書紀』欽明紀十四年正月戊寅条「中部徳率木劦今敦。河内部阿斯比多」とあることから、徳率の省略と捉える向きもあるが、『日本書紀』欽明紀二年七月「前部奈率鼻利莫古。奈率宣文。中部奈率木刕昧淳。紀臣奈率彌麻沙等」と記すように、同じ官位であっても個人ごとに明記するのが通例であるため、河内部阿斯比多は官位を有していないか、少なくとも称していない。官位を有していないことから倭系百済官僚と断定することはできないが、私的に百済に入り込み結合する倭人が存在したことが確認できる[4]。