河原喜久恵
From Wikipedia, the free encyclopedia
東京府芝区田村町(現在の東京都港区)出身。士官である河原喜久蔵の二女として生まれる。1920年(大正9年)に日本高等女学校(現・相模女子大学)を卒業。1923年(大正12年)に東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)に入学して長坂好子とマルガレーテ・ネトケ=レーヴェに師事し、1927年(昭和2年)3月に同校本科声楽部を卒業[2][3]。1929年(昭和4年)3月に同校研究科声楽部を修了[4]。山田耕筰の推薦によりコロムビアに入社。
1930年(昭和5年)「ザッツ・オーケー」「麗人の唄」、1931年(昭和6年)「月の浜辺」が大ヒット。1932年(昭和7年)松竹蒲田に入り、女優業の傍ら声楽の指導など行った。
ベーシスト阿部英雄と結婚するが、10年後破局。その後は、満州に渡り実業家として活動。1948年(昭和23年)引揚げ。
戦後は芸能界には復帰せず、千葉で市井の人として暮らした。
1997年(平成9年)、死去。享年96。