河合真理
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祖母は料理研究家の草分けの一人であった阿部なを。小学校5年生の時に両親が離婚。祖母との生活が始まった。毎朝、祖母の作った味噌汁と青汁を飲んで登校し、遠足などのお弁当は祖母の経営する料理店の板前が作ったものだった。そんな立派なお弁当が恥ずかしくて、中学生になってからは毎日の弁当を自分で作るようになったという。
青森県出身の阿部なをは津軽の郷土料理をもとに、チーズやバターをアレンジした当時としてはモダンな料理を発表していた。津軽の訛りそのままできょうの料理に出演した。夫は画家の阿部合成。同郷の太宰治をはじめ、板谷波山、堀文子ら芸術家との交友も深かった。[1]
阿部なをは野の草を摘んで味噌汁にするように、素材を自然のままに大事に扱う達人でもあった。そんな環境で育った河合は、祖母から教わった伝統的な日本料理を基本に、より自然であること、素材を皮や根っこまで大切に始末するナチュラル・フードを提唱するようになった。 [2]