河田槌太郎

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死没 (1964-02-12) 1964年2月12日(74歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年(明治44年) - 1945年(昭和20年)
河田 槌太郎
1945年10月、ビルマにおいて第17インド師団長A・W・クローサー少将へ軍刀を手渡す河田槌太郎中将
生誕 1889年8月20日
日本の旗 日本北海道
死没 (1964-02-12) 1964年2月12日(74歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1911年(明治44年) - 1945年(昭和20年)
最終階級 陸軍中将
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河田 槌太郎(かわだ つちたろう、1889年明治22年)8月20日 - 1964年昭和39年)2月12日)は、日本陸軍軍人。最終階級は陸軍中将

北海道上川郡東旭川村(現旭川市東旭川町)出身。1911年(明治44年)5月、陸軍士官学校(23期)を卒業。同年12月、歩兵少尉に任官。

1936年(昭和11年)5月、支那駐屯軍高級副官となり日中戦争に出征。1937年(昭和12年)8月、歩兵大佐に昇進し北支那方面軍高級副官に転じた。1938年(昭和13年)3月、歩兵第44連隊長に就任し満州に赴任。1940年(昭和15年)3月、陸軍少将に進級し独立混成第10旅団長となり、済南に駐屯し再び日中戦争に従軍した。

1941年(昭和16年)7月、近衛混成旅団長に転じた。1943年(昭和18年)6月、近衛第2師団兵務部長に就任。第16独立守備隊長を経て、1943年11月、独立混成第26旅団長となり、スマトラ島の守備を担った。1944年(昭和19年)6月、陸軍中将に進み、同年7月、罷免された佐藤幸徳前師団長と交代し第31師団長に就任。イラワジ会戦などで苦戦を強いられた。

1947年(昭和22年)11月28日、公職追放仮指定を受けた[1]

栄典

勲章

著作

参考文献

脚注

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