東京出身。1912年(明治45年)慶應義塾大学法学部卒業[1]後、1936年(昭和11年)に電気通信機部品等を製造する河端製作所を設立[2]。戦時下で軍需会社を中心に、高周波用セラミックコンデンサを唯一扱う会社となった。以後、精密分野に従事し、現在の村田製作所に繋がる、森安静太や佐藤彦八(佐藤航空無線器材製作所 (現・太陽誘電)創設者)など数多くの技術者を河端製作所で育てた。
1946年(昭和21年)8月21日に貴族院議員に勅選され[3]、交友倶楽部に所属し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで在任した[1]。