河野光次 From Wikipedia, the free encyclopedia 河野 光次(こうの みつじ[注 1]、1882年 - 1958年6月1日)は、日本の事業家、尾崎行雄の義理の娘婿である[2]。 河野一三の兄で、河野一英と河野典男の伯父にあたる。 1882年、広島県沼田郡緑井村(現・広島市安佐南区緑井付近)出身。東京府荏原郡馬込村(現・大田区南馬込)に移り、早稲田大学に入学、尾崎行雄の書生および秘書となった[2]。1904年8月、朝鮮へ渡航し、土地開発事業に携わったが失敗に終わった。 1909年に帰国し、1910年に尾崎行雄の養女・多満と結婚した[2]。その後、田園都市株式会社に関与し、東急グループの基盤形成に寄与した[1]。 1919年9月にはアメリカへ渡航し、ニューヨークやワシントンなどを視察した。帰国後、葛原冷蔵の臨時株主総会詮衡委員を務めた[3]。 東京横浜電鉄(現・東急電鉄の前身の一つ)関連の土地買収事業などに携わり、渋沢子爵事務所での事業に参画している[4]。 戦後は尾崎行雄の顕彰事業に尽力し、「尾崎咢堂生まれ地記念事業委員会」の一員として記念館設立運動に参加した[2]。 著書に『北米行脚便り』(1920年、自費出版)がある。 脚注 1 2 “田園調布”. 2026年4月18日閲覧。 1 2 3 4 “河野光次 - 歴史が眠る多磨霊園”. 2026年4月14日閲覧。 ↑ “葛原冷蔵”. 2026年4月18日閲覧。 ↑ “東京横浜電鉄(株)『東京横浜電鉄沿革史』(1943.03)”. 渋沢史料館. 2026年4月14日閲覧。 [脚注の使い方] ↑ 光次は「こうじ」表記も見られる[1] 外部リンク 河野光次 - 歴史が眠る多磨霊園 北米行脚便り 河野光次 著 Related Articles